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イエローナイフ Yellowknife

イエローナイフは親しみやすい小さな町として、また開拓時代の面影を未だに残している町として知られています。70年前、探鉱者がグレートスレーブ湖の湖岸に金を発見し、今日のイエローナイフの町がそこに出来たのです。町には当時の建物を見つけることが出来ます。美しい通りや小道を歩けば、人々の過去の苦難や決断、生の喜びといった歴史の軌跡を辿ることが出来るでしょう。

今日、イエローナイフは人口18000人超、ノースウエスト準州の州都であり、豊かな文化を持った町です。ここに住んでいる先住民族の多くは歴史的にこの地域と結びつきのあるイエローナイフ族、デネ族とメティスの子孫です。とはいえ、移住者は北京からブタペスト、コーラルハーバー、ヌナブットからケープタウン、南アフリカそして大阪からオスロといった世界中の様々な地域からこの地にやって来ました。 ここでは8つの地域公用語を含めなんと25以上の言語が話されているのです。あなたの同郷の人がここに住み、ここイエローナイフで働いていて、そして何かの偶然でこの地で出会うかもしれませんね。

イエローナイフは金脈の上にある、と言われています。これは本当の話で、CIBC銀行の前の歩道を見てみるとイエローナイフゴールドの標本を見つけることが出来るでしょう。2つの鉱山、コンマイン、ジャイアントマインが60年以上金を発掘し稼動していました。坑道ははるか地下深くまで掘られイエローナイフ湾よりもまだ深く掘られています。しかしながらおかしなことに、イエローナイフという名前は、金にちなんでつけられたわけではなく、銅にちなんでつけられたのです。

探検家サミュエル・ハーンは1770年、この国を旅し、黄銅製のナイフを使用している先住民族に偶然出会いました。そしてグレートスレーブ湖にある河口近くの彼らの集落地帯はúイエローナイフîという名前として知られるようになりました。極北に精通している人はジョン・フランクリン卿を知っているでしょう。彼もまた1821年にここを通り過ぎたと彼自身の北極海沿いを旅した時の叙事詩に詠われています。フランクリンと共に旅をしていたミッドシップマンフッドによって描かれた写生図は今日となっても変わらぬイエローナイフの風景が描かれています。

イエローナイフ湾での金の発見の報告は1898年にクロンダイクへ向かう途中の探検者によってなされました。その後、その発見は1905年に確認されました。1934年、地質調査をした結果地質学班は金の鉱脈を正確に言い当てます。これがイエローナイフのゴールドラッシュの始まりとなりました。当時南側のカナダでは状況が芳しくなく、人々はボートや大型平底船で大きな湖を渡り北へと流れていきました。彼らは、現在オールドタウンと呼ばれている、先カンブリア時代のきらきらと輝く岩盤に囲まれた湖岸に探検用のテントを建て始めました。1937年までに、イエローナイフは栄えた町となりました。病院、酒屋、レストラン、映画館、警察署も建てられました。このテントハウス群の小さな町は、第二次世界大戦後の不景気の中でも繁栄を続け、すぐにアパートへと変わっていきました。町は更に台地へと広がり、そこが現在のダウンタウンとして知られている場所になりました。

イエローナイフは1967年、当時の準州政府所在地がオンタリオ州オタワからこの地に移動した時に、ノースウエスト準州の州都として名付けられました。そして1970年に都市(City)となったのです。ノースウエスト準州の唯一の都市として現在は、金鉱、行政組織などの中心を担っています。

近年、イエローナイフの住民達はこの町を作りあげたのと同様の開拓者精神を持って町の北東にあるカナダ初のダイアモンド鉱山の発展に助力してきました。それまでには5年間の月日と、約1000億円という巨額な出費がかかったのです。

今日でも、イエローナイフの人々は金鉱で働いていますが、そのうちの多くの人々はダイアモンド鉱山、ダイアモンド研磨工場へと移っていきました。かつてはú金が作り上げた街î(City built on Gold)といわれていましたが、現在ではダイアモンド鉱山の方が盛んとなり、イエローナイフはú北米ダイアモンドの首都î(Diamond Capital of North America)と呼ばれています。

Photos by Terry Parker (NWTAT), GNWT, Fran Hurcomb and Ronne Heming (Outcrop).

 

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